のんびりガーデニング

ガーデニングスタートでしたが、現在は写真、自転車、トレッキング、バードハイク等々ジャンル多々にて気儘に投稿中です。宜しくお願い致します。

旧島松駅逓所・・・

三連休最終日・・・

散策の帰路に、クラーク博士が農学校生徒と別れた場所を思い出し旧道迂回です。

クラーク博士記念碑~

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記念碑や建物記憶も抜けてしまった数十年前の通過地に、何時の間に出来た施設や記念碑???

と感じながらタイムスリップ・・・


駅逓所横の「寒地稲作 この地に 始まる」の寒地稲作発祥の碑を目にしながら・・・???

旧島松駅逓所


北海道の食(米)発祥地が、このクラーク博士記念碑の左後ろにある小さな田です。




駅逓所職員の説明を拝聴しながらの追記です。 河内からきた中山(旧姓松村)久蔵が入植したのが1871(明治4)年で、道南から取寄せた耐寒品種「赤毛」の種籾から始まった米作り・・・

現在のキララ397、ふっくりんこ、ゆめぴりかの元に成ってる米との事。

 旧島松駅逓所

この地だけで現在も育てられ、毎年小学校4年生が稲刈りを行ってるそうです。


島松駅逓所は、札幌本通(函館~札幌)開通の明治6年に設置され、明治17年に中山久蔵が駅逓を命ぜられ中山家が明治30年の廃止まで経営。


明治天皇が昼食時立ち寄りにも使われた史跡です。


旧島松駅逓所


井戸が残り~

旧島松駅逓所


縁側には雨戸が一枚で、内側は障子一枚・・・ここは何処の地?

旧島松駅逓所


指定年月日:昭和59年7月25日 開館年月:平成2年10月16日 (リフレット記載)

図面を元に宮大工を呼寄せての復元施設でした。年月日から復元施設は初めて訪問~内部も初見学。



旧島松駅逓所


建物は昔の寺社仏閣のように釘未使用で、匠技を生かした作り・・・

自宅使用、旅館、天皇お立ち寄り時の増築部分があり・・・

増築部分には日本では二箇所しか残ってない畳縁~

旧島松駅逓所

他一箇所が御所で、自由に見て撮影が出来るのはここだけとの事。

山百合と蓮も中山久蔵が食す為に育て、現在も70本を育種中・・・

蓮池も横に残り、この蓮は道内二箇所で絶えないようにしてるとの事。

我が家から10kmない所に、こんな史跡が出来てた~の発見でした。



旧島松駅逓所


明治10年4月16日 Boys,be ambitious の言葉を、この地で別れ際に残して去ったクラーク博士。

言葉の後ろに「この老人のように」と言ったとか・・・

「老人」を指してるのがクラーク博士本人か中山久蔵かが分からずに消えたそうです。


追記-入場料 大人200円 価値ある200円でした。



再追記-畳縁

畳の縁(へり)
畳の縁につけられている生地を見ると、そこに座る人の身分がわかります。さまざまな図像を見るときに興味深いものです。

 繧繝縁(うんげんべり・うげんべり)は最も格の高い畳縁で、天皇・三宮(皇后・皇太后・太皇太后)・上皇が用いました。親王や高僧、摂関や将軍などの臣下でも、「准后」(准三宮)という称号が与えられると三宮扱いになるため、繧繝縁を用いることが出来ました。また神仏像などでも繧繝縁を用いています。雛人形の親王雛は繧繝縁の厚畳に座っています。「源氏物語絵巻」でも匂宮や女三の宮が座している畳は繧繝縁で、臣下が座しているのが高麗縁と描き分けられています。

 高麗縁(こうらいべり)は白と黒の織物で、親王・摂関・大臣は大紋高麗縁、公卿は小紋高麗縁です。清少納言の枕草子では盛んに「青畳と高麗縁の取り合わせが美しい」と賞賛されています。現在では神社仏閣の座敷や茶室の床の間などで大紋高麗縁を見ることができます。小紋高麗縁は逆に珍しくなり、京都御所など限られた場所でしか見かけることがありません。実際には直線ラインで構成された小紋のほうが制作が難しいそうです。

 四位五位の殿上人は紫縁です。六位以下は黄縁、無位の者は縁なしとされていました。
現在の京都御所では、紫縁を敷くべき位置には、赤縁を用いています。これは紫が変容して赤を用いたもので、「紅絹(もみ)縁」「緋曽代絹縁」とも呼ばれます。

 京都御所の表参内門である「宜秋門」を入り、御車寄から御殿にあがると、東に「虎の間」(公卿の間)、次に「鶴の間」(殿上の間)、さらに西に「桜の間」(諸大夫の間)と各部屋が並んでいます。「虎の間」「鶴の間」には小紋高麗縁、「桜の間」には赤縁の畳が敷かれています。


上画像の畳縁は、大紋高麗縁で上記文では親王・摂関・大臣・・・あれっ?と感じてます。。。

 歴探

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